【3.11】あの日の僕

こんばんは。角田です。
本日は足立区にて活動しつつ、ホストクラブにて再度打ち合わせでした。

さて。本日は3.11。
あの日を境に人生が変わった人も多いと思います。僕もその1人かもしれません。
当時のことは今でも覚えています。

その時、私は高校2年生で、ちょうど定期テストの最終日でした。午前中にテストは終わったんですが、当時私は卓球部部長だったにも関わらず、部活に行きたくありませんでした。テストの1週間前から部活がなかった生活が続いてほしかったのかもしれません。
しかし、仮にも部長なので、最後の締めの挨拶をしなければいけなく、15時に部活が終わるので、しぶしぶ教室から体育館横にある練習場に向かっていました。
東日本大震災はそのタイミングで起こりました。当時は、埼玉県飯能市の高校に通っていたため、東村山よりも震源に近く、立っていても耐えきれないくらい揺れたのを覚えています。
揺れがおさまり、練習場に行くと、不安になってる部員を目撃。そして、校内アナウンスが流れました。

「校舎内に残っている生徒は至急校庭まで避難してください。」

その日はテスト終わりということもあり、数十名の生徒しか残っておらず、全員外に出ました。
そして、至急帰るように通達がありました。なくなく帰ることに。
西武池袋線飯能駅に着くと、人の多さに圧倒されるほどひとひとひとでごった返していました。
どうやら電車が止まってるらしいと。

そこで学校に引き返しました。そうすると、たくさんの生徒が、私と同じように帰れなくなっていました。
通ってた学校はミッション系の学校だったので、礼拝堂があり、そこで暫し避難。学校で1番固い建物だった気がします。さすがと感じたことを覚えています。

夜になっても電車が復旧する気配がなく、鮭おにぎりとおかかおにぎりとたくわんが学校から支給されました。それを食べ、私は近くに住んでいる友だちの家に行きました。
どうやら、父も仕事場から帰って来れていないようでした。

友だちの家でジャンプを読みながら、一夜を明かそうとしたら、父から電話が。
なんと、上石神井まで電車が動き、そこから東村山まで歩いて帰ってきたそう。ご存知の方はその距離感がお分かりかと思いますが、相当な距離です。
そして深夜2時、父が車で飯能まで迎えに来ました。
当日はこんな感じでした。

その後もみなさんご存知のように連日テレビでは、津波被害、地震被害の報道。そして、東京電力福島第一原発の報道でした。

#枝野寝ろ ができたのもこの時期でした。

思い返してみると、私が真摯に政治の大切さを感じたのは、3.11が初めてかもしれません。
当時は民主党政権で、国民に期待され、政権交代を成し遂げました。私も子供ながら、すごいことが起こってるなと感じていましたが、その後、震災の後の対応などを中心にそれはそれは言葉に言い表せないくらい酷いものでした。

そこで17歳の私は政治の大切さに気づきました。今の自分は当たり前じゃない。自分たちで未来を作っていかなきゃいけないと感じるようになりました。
今、政治活動のお手伝いさせていただいている大元のきっかけかもしれません。

現在も未知のウイルスと呼ばれたコロナウイルスが未だに猛威を振るい、不安定な世の中です。自分の未来は自分で決める。自分たちの未来は自分たちで創る。
そんな想いで引き続き頑張っていきます。

3月11日
角田かづほ